東海道徒歩の旅 第1日目
二川宿〜吉田宿

期日(時間) 2006年3月4日 (10:00〜15:00) 5時間
天候 晴れ
宿場間距離 二川宿〜吉田宿 6.1km
歩数計(換算距離) 24071歩 (16.85km)


【二川宿】

 東海道徒歩の旅の第一歩は『二川宿』に決めた。 とくに理由は無い・・。

 二川宿の東の端に『二川一里塚跡』がある。 江戸日本橋を出発して72里目の一里塚である。 この一里塚が実質的に『二川宿』の入り口に当たる。
 
 最近寺社仏閣にも興味を持ち始めているので、歩きながら街道沿いにある『妙泉寺』を観る。 ここには松雄芭蕉の句碑がある。
 次に『二川八幡神社』にて参拝をする。 参拝料はせこいけど10円也。
 この辺りの寺社仏閣は建立も古く、二川宿が栄えた江戸時代にはすでにあったもだ。 ということは弥次さん喜多さんを始め、様々な人々が参拝したのかもしれない。
 古い格子戸の家がわずかに残る町並みを散策しながら歩くと、『二川本陣資料館』が左手に見えてくる。 この資料館は平成3年に復元された本陣を改良してオープンしたらしい。 入館料400円を支払い中に入る。
 資料館の展示品の多くは江戸当時から伝わる旅行用具だったりと、当時を再現したジオラマ模型である。 本陣跡や旅籠跡には人形模型なども置いてある。
 
 資料として『広重の世界 通称竪絵図』300円を購入する。

 その後、二川駅まで戻り、駅前の道標を写真に収めたりする。
 ここからは、二川宿から離れて、一路吉田宿への道程となる。 ひたすら歩く。 火打坂から東海道は上道と下道とに分かれる。 どちらを通ってもよいのだろうけど、一応本通となっていた上道を選択する。 火打坂からダラダラと上り坂が続く。 

 豊橋地下資源館を横目で見ながら歩く。 ここには鉱物採取を始めたばかりの頃、勉強の為に何度か訪れた思い出の場所なんだな、などと感傷に浸りつつ、先へ進む。

 上り坂を歩いて足がちょっと疲れたので、昼飯と休憩を兼ねて、蕎麦屋『信州庵』に入って、ざるそば630円を食べる。

 上道と下道が合流する手前、高師原という所には、江戸時代に整備された松並木の名残の松が1本だけ生き残っている。
 この松は、根元から少しづつ道側に曲がり始めて、その枝が大きく道路を覆っている。 結構形の良い松で、こんな松がたった1本しか残っていないことは寂しいとも、1本でも残っていることに感謝したいとも感じた。
 ちなみに高師原は『高師小僧』の産地でもある。

 弥次さん喜多さんが坊主待ちをしたという『二軒屋』に出るが、何の目印も無く、ただ通り過ぎてしまった。 資料には『二軒屋バス停』があるはずだったのだが・・・とうやら、バス路線自体が廃止されてしまったようで、他のバス停も全く見当たらなかった。

 国道1号線と合流する地点には『飯村一里塚跡』が立っている。 江戸から73里となっている。 この一里塚の近くで休憩をしていると、リュックサックを担いで、片手に一眼レフのカメラを持った人が早歩きで通り過ぎて行った。 たぶん東海道を旅しているのだろう。 それにしても歩くペースが速い。

 国道に入ると、もちろん東海道の面影も全く無くなり、大きな道路は歩いていてもちっとも楽しくない。 こうの国道を約2Kmほど歩くと、現豊橋市、昔の『吉田宿』へと入って行く。

 国道を歩いていると、昭和初期を思わせる『銭湯』があったので、写真を撮影する。 銭湯も今ではすっかりと姿を消してしまった風物の一つでもある。
二川の一里塚 江戸日本橋より72里
二川の町並み
二川本陣資料館 入館料 400円也
二川本陣資料館を入ると・・・ 飯村の一里塚 江戸日本橋より 73里
【吉田宿】

 全く面白みの無い国道1号線をひたすら歩いて、豊橋市に入る。 東八町の大きな交差点に復元された『東惣門』が有り、ここから『吉田宿』に入る。
 資料には『かつて、この付近に東惣門があったが・・・』という記述があるので、その後に建てられたものであろう。

 国道から離れてやっとホッとする。 やっぱり国道は怖いし、歩いていてツマラナイ。
 いよいよ吉田宿の中心部へと向けて歩いていくと。『問屋場跡』『本陣跡』『脇本陣跡』が固まってあったようだが、今は石碑が建っているだけで、当時を偲ばせるようなモノは何一つ残されていない。 都会の宿命なのだろう。
 町並みを写真に収めるが、小さなビルがひしめき合っているだけで、何を撮りたかったのかさえ解らないような写真になってしまった。

 吉田宿は遊女や飯盛女が多いことで有名だった宿場町であったらしい。

 菜飯田楽で有名な『菊宗』を横目で見ながら、吉田の中心部を通り過ぎ、何度か交差点を曲がる。 吉田は城下町なので、敵からの進入を阻止する為にわざとこういう道にしていたらしい。

 『西惣門』跡を過ぎると、吉田宿の外れとなる。 この門も近年建てられてモノのようである。

 さらにいくつかの交差点の角を曲がり、豊川に掛かる橋に辿り着く。 豊橋というこの橋は、東海道では四大大橋と言われるほど有名な橋だったようである。 それが確かなのは広重が吉田宿というと必ずこの豊橋を描いていることからも解る。
 当時の豊橋は現在のモノよりも少し上流に掛かっていたようで、その時の親柱が神社に残されているらしい。 探してみたが見付からなかった。

 豊橋を渡って左に曲がり、暫くは豊川沿いに歩く事になる。
 ところが、この辺りから腰が痛くなって来た。 

『聖眼寺』まで来たところで、休憩をとると少し楽になったが、やっぱり今日のところが初日ということもあり、ここで中断することにする。

 豊橋駅まで引き返していると、飯村一里塚で会った人とすれ違う。 随分先に行ったと思っていたが、たぶん吉田城を見学していたのだろう。

 豊橋駅から名鉄電車に乗るが、疲れから居眠りをして、降りるはずの駅を寝過ごしてしまった。 
 疲れたけど楽しい一日でした。
吉田宿 東惣門(復元)
吉田宿 西惣門(復元)
吉田宿 本陣跡 吉田宿 本陣跡
現在の豊橋 吉田城(復元)