東海道徒歩の旅 第3日目
赤坂宿〜藤川宿〜岡崎宿

期日(時間) 2006年3月25日 (10:00〜15:00) 5時間
天候 晴れ
宿場間距離 赤坂宿〜藤川宿〜岡崎宿 15.5km
歩数計(換算距離) 27808歩 (19.47km)


【藤川宿】

 『名電長沢駅』から東海道に入り、田園風景の中を歩く。 先週と違ってほとんど風が無く、かなり暖かい。 少し歩いただけで暑くなってきたのでウインドブレーカーを脱ぐ。
 暫く歩くと更に暑くなって来たので、スエットシャツも脱ぐ。 Tシャツと厚手のシャツの2枚で丁度心地良い感覚で歩けた。

 旧街道から国道1号線に出て、ひたすら歩いていると、母親とたぶんその息子の2人で車を押しているところに出くわした。 車が故障して止まってしまったらしい。 手伝って、車が邪魔にならない場所まで移動させる。

 国道から『本宿』の町へと入る。
 ここは私が以前半年ほど住んでいたことがある町である。 懐かしい。
岡崎観光文化百選の一つ『法蔵寺』を見学する。 以前住んでいた時には全く興味が無く、見学したことが無かったのに・・・人っていうのは本当に年とともに変わっていくものである。 
 江戸から78番目の『本宿の一里塚』を通過する。



 本宿の町の東にもわずかばかりの松並木が残されている。 住んでいた当時も東海道の松並木だという認識を持っていたが、それらを示す大きな看板が出来ていたことには驚いた。
 わずかばかりの松並木を抜けるとと、再び国道1号線に戻る。



 藤川宿の東の端には『棒の手跡』が復元されている。 それ以外にも藤川宿では、町を上げての観光化がされていて、本陣跡が残されており、そのまま資料館として生きている。 それらを観て歩くと、結構楽しかった。
 江戸から79番目の『藤川の一里塚』を通過する。

 藤川宿を外れると、藤川の松並木が現れる。 ほとんどの松は五街道が整備された初期の松ではなく、その後に植えられたものであるらしく、松自体がそれほど大きくない。

 『源氏蛍発祥の地』という看板がある。 どうしてここが源氏蛍発祥の地だと解かるのだろうか? 元々ここから全国に移植したからなのか? 遺伝子研究の成果なのか? ・・・とりあえず先を急ぐ。


【岡崎宿】

 岡崎の街に入る手前に、江戸から80番目の『大平の一里塚』がある。 私が東海道を歩き始めて、初めて見る現存する塚である。 これを見ると『一里塚』という言葉が初めて理解出来る。 今まで見て来たモノは一里塚の碑だったわけである。



 大平の一里塚の向かいには『大岡越前の守旧邸』がある。 
 『大岡裁き』で名奉行として誰もが知る『大岡忠相』は、その実績を買われて、ここ『三河国西大平』1万石の大名となった。 江戸時代に奉行から大名になったのはこの人唯一人しか居ない。 それだけ八代将軍吉宗の信頼が厚かったのだろう。
 ただし、講談等で知られる『大岡裁き』のほとんどは大岡忠相の裁きではないことが解っている、とのことだ。

 東名高速道路の岡崎ICをくぐると、岡崎に着いたという実感が湧いてくる。 見慣れた風景ばかりだから。
 そこから少し歩いたところで喫茶店を見つけて、飛び込む。 ずっと昼飯を食べられる店を探していたのだが、やっと見付かった。 時刻はすでに午後2時を回っている。 ここでサンドイッチを食べ、コーヒーを飲む。

 岡崎宿に入ると『岡崎二十七曲』の碑があって、そこからはいくつもの角を曲がることになる。 どこの城下町でもそうだったように、敵の侵入を防ぐ為に城下町ではこういう道路の造りになっていたのだ。



 岡崎宿ではほとんど東海道の面影などを残す物が無い。 康生町に出る。 ここで本日の旅は終了とする。